2011年6月28日火曜日

“私にとっての、PYRAMID”

それは究極のオヤジバンド、なんて最近のエントリーに書いたような気がするんだけど、そしてそれは嘘でもなんでもないんだけれども、それについてはもう少し説明しておかないと誤解が生じたりしそうで、そうなったらそれはそれでとても悲しいので、ここで一度、あたくしにとっての“PYRAMID”について、出来るだけ手短(もしもきちんとするならば本を一冊?とまではいかないまでも相当たくさん書かねばなりまへん!)にお話しさせていただく必要性を深く感じた次第。



学生時代に一緒にバンドをやっていた仲間と、卒業後四半世紀を経て、再び同じステージで共に音楽する喜び‥

そこのところをわかって下さる方は、実のところたくさんいらっしゃることと思う。だって、バンドでなくても、吹奏楽とか、ギター・アンサンブルやマンドリン・クラブ、或はエレクトーン・サークルとかガムラン研究会とかハンド・ベルとか‥、ともかく、学生時代に音楽を一緒にやった仲間がいて、久しぶりに一緒に音を出す楽しみ‥慶び‥

‥でもって、それを想像してもらった上で、再会した仲間が皆音楽を職業としていたならどういうことになるのか?という答えは、これまでの3枚のCDの中やライブの映像の中にあるはずだが、要するに、

‥と、ここまで書いて気が変わった。今これ以上くどくど言うのは野暮というもの。



「70年代80年代のクロスオーバー・ミュージックにリスペクトを払いつつ、洗練された上質の音楽をお届けする」‥というコピーは単なる今の思いつきにすぎないが、間違ってはいないだろう。


これまであたくしがPYRAMIDに提供した7曲(1曲は鳥山くんとの共作)は、全て自己採点で9.00以上を記録している、結構好きから相当好きの間に位置する楽曲であって、これを聴かずに私に話しかけないでね!と宣言したいところである。

そう言えば、一昨年の秋、是方さんのSOUL BALLAD で横浜のキングズ・バーに出た時、スクエア時代の曲ばかりを次から次へとリクエストするお客さんがいて、彼女は私がソロやトリオで活動していることはおろかPYRAMID の一員であることすらご存知なくて、愕然憮然茫然消沈してしまったことがあった。

学生時代は聴いていた。
大人になって聴かなくなった。ましてやライブは‥


‥少なくとも20万人はいたはずの聴衆は、どこに行ってしまったのだろう?

コンピューターの前でユースト観てる(今晩だね?あたくしは観れそうにないすけど‥)人が20万人いるはずもなし‥


長年に渡る不景気や、技術の発達によって安価な複製や無料ダウンロードがはびこったこの危機的状況を考慮に入れても、この状況はおかしいと思う。

結局のところ、情報が行き届いていないのだ。(と、思いたい)


今、PYRAMIDを聴かずして、あなたいったい何を聴くんですか?

‥と、わたしは日本中、世界中の音楽ファンに問いたい。

繊細な神経によって緻密に構築された音響的構造物の中で、あなたは、どこまでも、きもちんよくなるあるよ~
でもって、7/3は本田さまにTOKUちゃんでしょ?
ゴージャスに磨きがかかって、アダルトでおしゃれな夜請け合いよっ!

いや~、満員御礼とは言いませんけれどもね‥
せめて千人‥

東京中に、本当に趣味のいい方々が何人居住してらっしゃるかは知る由もないが、とりあえず千人の方々をお迎えできれば、贅肉に鞭打ってピアノを弾こうというモチベーションがシンコペーションでベンチレーションがブーブークッション!!!!



最後に、7/3、エレピ結構弾きます。フェンダー・ローズじゃないけど、新品のローズ‥
いわゆるレプリカっつうことで、カバーがラメなの‥

主催の宮地楽器さんがビンテージ・エレピの専門店を始めたとのことで、こないだ押しかけて借りてきたの‥ うしし‥

2011年6月21日火曜日

“シモヤマキネントリオ”

下山敏がこの世に別れを告げてから早四年、いまだに様々な場面で「サトシさんならなんていうだろう?」という問いかけを日々つぶやきながら暮らしているアチキである。


下山敏という人物は、私にとってまず学生時代からの唯一無二の親友であったと同時に、音楽をはじめ美術文学哲学精神世界雑学諸々の先生でありブレインであった訳であって、それなりの期間の闘病生活であったから覚悟はしていたつもりだったが、いざ旅立たれてみるとその不在がもたらす空間の広大さを思いしらされることになった。


3000枚のCDにDVDが200枚‥
遊びに行くと次から次へとかけてくれる、ありとあらゆる音楽‥ロック、ジャズ、ポップス、民族音楽、そして古楽から現代音楽に至るまでの西洋クラシックの世界。
数十冊の画集と写真集。
レアなビデオクリップにマニアックな映画‥

正直に言って、それこそが音楽家としての僕の滋養の源だったのだ。


四年で乗り越えられるはずもないのだが、この度、彼の遺志(もちろんLove&Peace!)をつぐべくトリオを始めることとあいなって、旗揚げライブが7/10、浅草のジャズバーSOUL TRAINにて‥

ドラムスに店のオーナーでやはり下山さんのマブダチだった、池田二郎さん、ベースに下山さんの甥っ子、鈴木健市くん。
そして、スペシャルゲストに天野清継氏をお迎えして、15時開店で16時からゆる~く三部構成でお送りする予定。

下山さんだったら、どんな選曲にしたか、というコンセプトで行ってみようかと‥

思えば、クラシック界においては、サイトウキネンオーケストラという名門が誉れ高いが、軽音楽の分野においては、やはりなんといっても、シモヤマキネントリオでしょう!‥と言って頂けるように、日々精進を重ねていく所存にござります~。

最後に、シモヤマキネントリオ、という名前は正式名称であって、普段は、“SKT53”という愛称?で活動いたしますので、何とぞよろしくお引き立てのほどを‥
m(__)m


でも、浅草で昼ご飯食べてからライブって、和めると思うよ~
おいしいとこたくさんあるしね!
終演も20時半の予定だし‥

2011年6月13日月曜日

“怒涛の二日間”

怒涛、などという言葉を安易に使うと、何をまた大袈裟なオヤジが‥と陰口を叩かれそうなんだが、やはり今回は、怒涛の二日間、と言ってよいかと思う。


相当に濃かった全く内容の違うライブ二本を通して、アチキの脳みそも肉体も再臨界の一歩手前だったんだが、実は、韓国はソウルから、ウンゼ君(ご存知ない方はHPの写真集の中の韓国ツアーをご参照あれ‥)がナメク君(ドラゴンボールのナメック星人が由来のあだ名)を伴って来日して、そもそもはソフトウィンドだけを聴いてくれるはずが、なりゆきでスイートベイジルも、となって‥


でもって、ウンゼ君は彼の人生においてこれまでで最大の転機を迎える(9月からNYに写真の勉強で留学‥)にあたって、アチキ(撮る方はともかく、鑑賞するぶんにはタルボットから始まってスティーグリッツ、スタイケン、ラルティーグ、キャパにブレッソン‥、まぁそれなりの、写真愛好家でして‥)と色々話もしたかったみたいで、尚且つ、ウンゼ君の本懐がドキュメンタリーであると聞いてしまったならば、それはそれは2011年のこの状況においていかに荊の道であろうことに違いなく‥


従って、ソフトウィンドの後に朝まで話せれば良かったものの、翌日を思えばそうもいかず‥(それに加えてソフトウィンドの終演後、突如アレンが現れて‥それはそれで楽しかったけれども‥)


さてさて、10日のソフトウィンドにおけるソロ、自分の中では、3.11の犠牲者の方々に捧げた演奏だった訳であって、特に、エレジィは哀悼と噴怒?を込めてビシッと決まった?かと自画自賛?‥

‥で、飛び入り(業界ではそうは云いつつも普通はリハーサルをするもんなんだが、ほんとの飛び入り!)で歌ってくれた鈴木雄大くん‥

素晴らしかった!!

「上を向いて歩こう」‥きもちんよくて、もう、たまりまへんでした!

また、日本人で、スティービー・ワンダーのナンバーを、あれほどのレベルで歌ってくれる人に初めて遭遇した喜び‥わっかるかなぁ?‥わっかんないだろうなぁ~?


てな訳で、ずいぶんと盛り上がった金曜日のライブ、しかしながら、ミスティファ運転の専属カメラマンは当日自転車操業でハーブを刈っていてそよ風には顔を出せず‥(ちなみに、月曜日の早朝、今現在も大阪に向けて運転中‥)

‥てな訳で、ソフトウィンドさんのブログをご覧下さいまし!(毎度のことながら、オーナーの松木さんってば、アチキのことを誉めすぎです‥今度菓子折りを持参せねば?)




そしてそして、11日土曜日のスイートベイジル‥
なんといっても、Voice Pics に金メダルをあげたい!!



勿論、アレンもマチャトも凄かったんだけれども、思えば、アレン・ハインズ氏も本田雅人氏も、華々しい年季を積んですでに音楽界においてエスタブリッシュメントともいうべき地位に昇り詰めているお二方であって、ぐっ、とこさせてくれて当たり前(‥なんて言いながら、ぐぐぐぐぐっ、て持っていかれたりしちゃう訳)なんだが‥、



V.P.の面々はいうなれば若武者‥

それでもってあの境地‥



五年後十年後、なんて悠長な話でなく、半年後一年後に彼等がどんな音を出しているのか?
自分がミュージシャンであることも忘れて、リスナーとして、ファンとして、聴き続けていきたい、‥と思わせてくれるに足る若者達な訳だ、これが。

アレンの残りのライブ(今夜の大阪、水曜日の横浜、木曜日の名古屋)、お近くの方々はお聴き逃しなきよう!